「双生児」(江戸川乱歩)

現代においては純文学として読み解くべき作品

「双生児」(江戸川乱歩)
(「江戸川乱歩全集第1巻」)光文社文庫

刑の執行間近の死刑囚が、
教誨師に語る。
自分はある男を殺し、
その男の金庫から
三万円を盗んだ咎で
死刑となった。しかし、
自分にはもっと深い罪がある。
今から話すことを
私の妻に話してほしい。
私は実の兄を殺した…。

スティーヴンスンの「マークハイム」や
ポー「ウィリアム・ウィルソン」
日本では梶井基次郎
「Kの昇天」といった作品には、
ドッペルゲンガーが登場します。
江戸川乱歩の初期の
短篇である本作品も、
その類いといってもいいでしょう。
この場合のドッペルゲンガーの正体は、
自分と寸分違わぬ双子の兄の亡霊です。

財産を譲り受けた双子の兄を殺害し、
無事に入れ替わったものの、
その亡霊(といっても
罪の意識が創り上げた幻影、
したがってドッペルゲンガー同然)に
責められるのです。
さらに入れ替わっても
放蕩の気質が改まるわけもなく、
財産を使い果たし、
凶行に及ぶというものです。

さて、
ミステリーとして本作品に接した場合、
読みどころは
双子の兄弟の一方が加害者、
他方が被害者になるという特殊性、
そして殺害した兄に入れ替わって
生活するという意外性、
さらに自分の罪を
行方不明となっている「自分」に
なすりつけるトリックの三点でしょうか。
しかしそれらは、
当然現代のミステリーからすれば、
いささか印象が弱くなるのは
仕方のないところです。

本作品の味わいどころは、
死罪となった主人公の述懐に現れる
矛盾した人間性だと思うのです。
血を分けた兄、
自分とまったく同じ遺伝子を持つ兄を
何のためらいもなく
抹殺する非人間的な面を見せる一方で、
その罪に怯え、兄の幻影、つまりは
自分の影に精神を破壊される
弱い人間としての一面も
現れているのです。
他に類を見ないであろう異常さと、
私たちと何ら変わることのない臆病さが、
渾然一体となって
懺悔の中に現れているのです。

まるで太宰の作品のような
テイストがあります。
本作品が発表された大正期は、
まだ純文学とミステリーの境界が
曖昧だったのでしょう。
谷崎佐藤春夫
探偵小説を書いていたくらいですから。
現代においてはミステリーというよりも
純文学として読み解くべき
作品なのかも知れません。

本作品の次に乱歩が執筆したのが
「D坂の殺人事件」
ここから明智小五郎がデビューし、
いよいよ本格的探偵小説時代の
幕開けとなるのです。

※面白いのは、
 本文中にスティーヴンスンの
 「ジキル博士とハイド氏」に
 関わる記述があることです。
 もしかしたら乱歩は
 「マークハイム」を
 読んでいたのかも知れません。

(2018.11.25)

【青空文庫】
「双生児」(江戸川乱歩)

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